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それからというもの、リリシアは月を見る度に体調を崩すようになった。 ユエリアは月の魔術の力を完全に閉じられ、病に伏せた。 そして、ユエリアの「ドラゴンに似たイーグルの怪異を見た」という説明のおかげで怪異が原因なことを両親に信じてはもらえたが、リリシアはベルフォード家の恥、「月影」と呼ばれ、朝から晩まで家事と雑用を押し付けられ、夜は鳥籠のような部屋に閉じ込められる日々が続き――、18歳となった今もそれは変わらない。 「月影! お前が樹木に触れ、怪異を呼び寄せなければ!」 毎晩のように、母が叫び声を上げ、押し込められている部屋の扉を乱暴に開けられ、中から引きずり出される。 その直後、振り上げられた母の手が下ろされ、頬に鋭い痛みが走ると同時に床へと倒れる。 お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ。 まるで呪いを唱えるような母の言葉が連呼し、激しく叩きつけられる中、リリシアは床に倒れたまま、ただ必死に耐え、謝り続ける。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」 24歳となったユエリアは、魔術を持つ家の花嫁として期待されながら、嫁ぎ先に全て拒まれ、行き遅れとなった。 ここにいる限り、自分は母の奴隷。 けれど出る術はない。 このまま、朽ち果てるまで奴隷として生き続けるしかないのだ――――。 そう思っていた、ある午後。 母の部屋に呼び出されたリリシアは衝撃的な言葉を告げられた。 「お前には明日、ハクヴィス邸に嫁いでもらいます」 母の説明によれば、月の魔術の名家であるハクヴィスの邸の当主、ルファル・ハクヴィスは、日の魔術師であるフェリカディア皇国の皇帝、シャイン直属の神魔術隊の長を務め、皇帝を含めた7名の魔術師達の中でトップとされる月の最強魔術師だという。 ただ、冷酷無慈悲と噂され、花嫁も未だ決まらないとのこと。 「どういう……ことでしょうか……?」 「下働きに出すと行っているのよ。お父さまに感謝なさい」 つまり、このままでは家が保てないと、自分をユエリアの今までの功績のおかげと父のつてで多額の資金を出してもらう事を条件にハクヴィス邸に売ったということだ。 けれど、下働きでは聞こえが悪い為、「嫁ぐ」という名目に表向きにはしたと……だが、ユエリアを置いて自分だけ家を出るだなんて。 「で、ですが……」 「口答えするつもり?」 リリシアの体がびくつく。 「あ……」 「お前などすぐに捨てられ野たれ死ぬだろうけれど、最後まで家の為に命を尽くしなさい。いいわね?」 「かしこまりました」 リリシアは跪きながら深々と頭を下げた。まるで天上のような、清らかな調べに包まれる中、リリシアはルファルの手に自分の手を添えて、祭壇へと上がる。純白な花付きのロングベールとリボンの下に何段も重なるロングトレーンの裾が、ふわりと広がり、月のティアラに少し編み込まれた髪が流れて。マントを左肩のみにかけ、内側にタスキをかけた白の正礼装に身を包んだルファルと共に並ぶ。隣で白い月紐で結ったうるわしき髪を流し、凛と立つルファルの姿は、皇子そのものだった。特別な礼拝席には凛と佇むシャイン皇帝、隣で控えるその側近。祭壇の傍らに、カイス、ソフィラ、ユエリア、最前列には皇后とヴァイオレット、少し離れた席ではエルシー、アルベルト、ハノ、リゼル、テオ、そして招待客のラズエラと隣で控えるレティ、その他、自席に立つ貴族達。そんな大勢の方々に温かく見守られる中、大司教にルファルから誓いの言葉を述べる。「フェリカディア皇国皇子、ラルファル・フェリカディアは、月姫、リリシア・ベルフォード嬢の夫となることをここに深く誓います」リリシアも続いて誓いの言葉を紡ぐ。「月姫、リリシア・ベルフォードはラルファル・フェリカディア皇子の妻となることをここに深く誓います」誓約を終えると、間もなくして、指輪交換の儀へと移る。高貴な宝箱の上に対となったダイヤの結婚指輪が2つ置かれている。それは、これまで見てきたどの月よりも美しく。ルファルは唯一無二の指輪を手に取り、そっとリリシアの左手を包み込んで、その薬指に嵌める。リリシアも続けてもう一つの指輪を手に取ると、同じくルファルの左手を包み込み、その薬指に嵌めた。互いの薬指の指輪がきらりと輝く。それは、夢ではない、ふたりの幸せの証。ようやく、ようやく、ここまで辿り着いた。「では、誓いのキスを」大司教の言葉の後、ルファルに両手でロングベールの端を持たれ――ふわっ。と、ロングベールを上げられる。――ああ、誓いのキスをすれば、ルファル様の花嫁になれるのだ。リリシアはルファルを見上げる。目が合い、互いを見つめて。ルファ
* * *そして――うららかな春。夜が明け、婚姻の儀の、朝が来た。されどルファルはフェリカディア宮殿ではなく、独り馬車の中にいた。皇子と明るみに出てからルファルは公務がドッと増え、挙句にほんの数日前。シャイン皇帝にどうしてもと頼まれ、帝都外へと公務に出向くこととなった。それでも婚姻の儀の前日には帰還できるはずだった。ところが、運命の悪戯か急な悪天候に見舞われて。一日待つことになり、当日の朝となってしまった。ルファルは疲労を感じながら息を吐く。――全く、後で兄上には一言文句を言ってやらないとな。ルファルは間に合うよう願いながら無詠唱し、馬車の速さを最大限に加速させる。そうして窓の外を見つめ、胸にリリシアへの想いを馳せながら、呟く。「……リリシアの元へ早く駆けつけなければ」* * *「リリシア様、そろそろお召し替えを」リリシアはフェリカディア宮殿の貴族専用の扉前でルファルを待っていると、ソフィラに促される。ルファルと共に邸宅からこの宮殿へと向かうはずだった。けれど、ルファルは朝になっても帰ってくることはなく。ソフィラと馬車で先に宮殿へと向かい、ここでルファルの到着をただひたすらに待つ。されど、いくら待ってもルファルは一向に姿を現さない。ゆえに不安は募るばかり。それでも。「もう少しだけ、待たせて下さい」ソフィラは困ったように息を吐く。「……リリシア様、かしこまりました」リリシアは胸にルファルへの想いを馳せ、必ず到着すると信じて、待ち続ける。それからどのくらいの時間が過ぎただろうか。馬車が到着し、扉から飛び降りて、こちらへと駆けてくるあの方の姿が両目に映る。気づけば自然と体が動き、リリシアも駆け出していた。次第に距離が縮まり、そして。強く、強く、互いの存在を確かめあうようにして抱き締め合う。「ルファル様、ルファル様、ルファル様っ…&h
リリシアは胸が締め付けられるような想いでルファルを見つめる。(ルファル様……そんなにはっきりと、おふたりの前で……っ)リリシアの胸は言い知れない不安できゅうと締め付けられるのと同時に激しく波立った。――ずっと頭では分かっていたことだ。身分の不釣り合いなわたしではなく、『天の願いの力』を持ち合わせるラズエラ様こそがルファル様の花嫁となるのが相応しい、と。そしてラズエラ様こそが、ずっとルファル様の婚約者として定められているお方なのだから。どう考えても、血筋を重んじる母君様はきっと目の前に座る気高く美しいラズエラ様をお選びになるに違いない――――。「ラルファル、頭をお上げなさい」ヴァイオレットの落ち着いた声に促され、ルファルはゆっくりと顔を上げる。「……ですって、ラズエラ」ヴァイオレットが視線を向けると、ラズエラはどこか晴れやかな、そして優美な微笑みを浮かべた。「――はい。ルファル様のお考えをこうして直接お聞き出来て、本当に良かったですわ。……元よりわたくしは、身を引くつもりでしたから」「え……? ラズエラ、様……?」予想もしなかったその言葉に、リリシアは思わず信じられない思いで声を零した。「実は、あの世異に魂を奪われていた影響で……天の願いの力も奪われてしまったようで。わたくしの中の力が、すっかり失くなってしまったのです。ですのでもう、あの神秘の力は残っておりませんの」「そんな……取り返しのつかないことになってしまうなんて……ラズエラ様、わたしのせいで、ほんとうに申し訳ありません……っ」「謝罪などなさらないで。決してリリシア様のせいではありませんわ。……それに、なんの力もない今のわたくしでは、これからのルファル様のお力には到底なれません。ですから――リリシア様、どうかこれか
* * *それからの日々は、あまりにも目まぐるしく、まるで夢の中にいるようだった。秘密の部屋の扉が勢いよく開いたかと思うと、リリシアの意識が戻ったことを知ったエルシー達が次々と押し寄せて来た。「リリシアちゃん、良かったよぉ~っ!」エルシーはリリシアの胸に飛び込び、顔をぐしゃぐしゃにしながら、まるで子供のようにわんわんと泣きじゃくる。その温かさに胸が締め付けられると、アルベルトとリゼルが両手いっぱいの見舞いの品を抱えて近づいてきた。リリシアはそのふたりの姿に思わず圧倒される。「まずはしっかり栄養付けねぇとな!」「リリシアの為に、吟味して選んだんだ」アルベルトとリゼルは、次々と気遣いが込められた菓子や花等の見舞いの品をリリシアのベッド脇のテーブルへと積み上げていく。ふたりからの不器用な優しさに、思わず笑みが零れる。けれどそんなふたりを横目に、テオは腕を組みながら呆れたように大きく息を吐き出す。「全く、勝手に何日も眠りこけて、勝手に目を覚ましてんじゃねぇよ……!」あまりの剣幕に驚きつつも、その声音の端には確かな安堵が滲んでおり、どこかホッとしてしまう自分がいた。そんなリリシアにハノが静かに微笑んで声をかける。「リリシア、こうして目覚めてくれて、本当に良かった」「……ハノ様も、ありがとうございます」リリシアは胸がいっぱいになりながらも、やっとの思いでそう言葉を返した。その直後のことだった。再び扉が開く。少し遅れて訪れたユエリアの姿を見た瞬間、互いに言葉を失った。駆け寄ってきたユエリアとぎゅっと強く抱き合い、互いの温もりを確かめ合うように、ふたりはただ静かに涙を流す。そこへ訪れていたラズエラが気品ある佇まいで歩み寄り、そっと声をかけてくる。「リリシア様、ずっと心配しておりましたが……本当に良かったですわ」その美しい瞳が潤んでいるのを見て、胸が熱くなった。するとそこへ、ソフィラが温かい眼差しで近づいてくる。そして、手を握り、名を呼んだ。「リリシア様……」リリシアもすぐさま名を呼び返す。「ソフィラ、さん……」互いの名前を呼び合った瞬間、溢れる想いに堪えきれず、ふたりして涙ぐんでしまった。だが、それだけに留まらず驚くことに、今度は気高い気配と共に、側近を制したシャイン皇帝自らがこの部屋へ足を運ばれた。その神々しいお姿の
* * * 深い眠りの底から、すぅっと光に導かれるかのように、リリシアは目を覚ました。 月の光が、優しく窓辺を照らしている。 ――この天井に見覚えがある。 ここは以前、宝石の魔術を体に馴染ませる儀式を済ませる為、シャイン皇帝が用意してくれた秘密の部屋。 あの夜、確かにここで一晩を過ごしたのだと思い出す。 ふと、手に優しい温もりを感じてそっと視線を向けた。 そこには、両膝を床についたまま、自分の手をぎゅっと握り締めた状態で布団に顔を埋(うず)めて眠っているあの方の姿があった。 「……ルファル、様……?」 掠れた声で名前を呼ぶと、それに反応するようにルファルがゆっくりと瞼を持ち上げ、布団から身を起こした。 「リリシア、良かった……ようやく目を覚ましたか」 「よう、やく……?」 「倒れてから、丸3日眠っていたのだぞ」 驚きのあまり、リリシアは思わず目を見開いた。 「丸3日も、ですか……?」 「ああ。お前が倒れてからの宮殿は大変だった。この部屋に運び込んで寝かせた途端、エルシー達が一斉に詰めかけて大騒ぎになったかと思えば、ユエリアやラズエラ、ソフィラ、それにカイスまで酷く心配して駆けつける有様で……。挙句の果てには側近を制して入ってきたシャイン皇帝が自らお前を診て下さったのだからな」 ルファルは、ふぅ、と小さく息を吐き出す。 「シャイン皇帝のお言葉によれば、皆を癒やしたせいで月姫の力が急速に枯渇し、危険な状態ではあるものの、私の方から月の魔術を送り続ければいずれ目覚めるだろう、とのことだった。だから、ずっとこうしていた」 「え……これまでずっと、ですか? ルファル様、お身体は大丈夫なのですかっ!?」 リリシアは慌てて上半身を起こそうとする。 けれどルファルが、すっと手を伸ばし、リリシアの背中を優しく支えながら起こした。 「おい、無茶をして一人で起き上がろうとするな。お前は、まだ病み上がりなんだぞ」 「で、ですがっ……! わたしを助ける為に、ルファル様がそんなご無理をなさっていたなんて……自分のことより、ルファル様のお身体を考えたら、とても寝てなどいられません」 「全く、お前は……」 呆れたように、けれど愛おしそうに呟いて、ルファルはふっと表情を和らげた。 「だが、正直に言えば……大丈夫ではないな。だから――」 ルファルはそ
そうして世異が完全に消滅した直後、リリシアの両掌に皆の魂が降りてきて――。気づけば、見慣れたフェリカディア宮殿の庭らしき場所に立っていた。「リリシア」不意に名を呼ばれて振り返ると、ルファルも同じ場所に立っていた。そして、その視線の先には――。騎士団の人々。ハノ。エルシー、ユエリア。テオ、アルベルト。リゼル、ラズエラ。カイス、ソフィラ、シャイン皇帝の側近。更にシャイン皇帝までもが雪の降り積もる冷たい地面に静かに倒れていた。その光景に胸がぎゅっと締め付けられる。「ルファル様、戻ってこられたのでしょうか?」「ああ。間違いなくここはフェリカディア宮殿の庭だ。リリシア、その魂を皆に」ルファルに促され、リリシアは頷き、あの温かな日常を取り戻す為、両掌をそっと天へと掲げた。すると、リリシアの掌から暖かな精霊の光を纏った魂たちが、それぞれの心の元へと優しく還ってゆく。それと同時に、月姫の力の光が天から雪降る庭へと降り注がれた。月姫の神聖な光に包まれると、皆の深い傷がみるみるうちに治っていく。不思議なことに、凍てつく地面の雪は嘘のように溶け、その跡から名も知らぬ美しき花々が芽吹いていく。そうして朝日が差し込む中、庭一面にその花が鮮やかに咲き誇った。「ルファル様、花が……こんなにも綺麗に……」「月姫の力の光の影響だろう。とても美しいな……」「はい……」夢のような景色をふたりで見つめながら、リリシアはようやく確信し、言葉を告げた。「ルファル様、全て、終わったの、ですね」「あぁ。ようやく全て終わった。……長かった」ほんとうに、そう呟きかけて、リリシアは言葉を失った。ルファルが、今まで見たこともない程に優しく、愛おしそうな瞳でこちらを見つめていたから。「――お前がいてくれたからこそ使命を果たすことが出来た。
「――勘違いをするな。私は嫁いだとは微塵にも思っていない。お前はただの下働きだ。いつでも死んでくれて構わない」酷く冷たい刃のような言葉。そう言われることは始めから分かっていた。なのに体が一瞬ぐらつきそうになり、必死に耐える。「かしこまりました」リリシアは了承すると、ただ深々と頭を下げた。震える手を握り隠し、倒れてけどられないよう、ぐっと足を踏ん張る。すると足音が徐々に近づき、リリシアの隣をルファルが通り過ぎた。ルファルはカイスにワイングラスを手渡し、部屋から出て行く。リリシアは、ほっと息を撫でおろす。ルファルが通り過ぎる時、「――」と何かを囁いた気がしたけれど、なんとか、や
その日の夕暮れ、リリシアは部屋で出立の準備を済ませ、ユエリアの病床に足を踏み入れた。冷たい床に跪き、リリシアは告げる。「お姉さま、今夜、ハクヴィスの邸へ嫁ぐことになりました」潤む目に映るのはベッドに横渡るユエリアの姿。本来ならユエリアの部屋に入り、近づくことすら許されない。けれど、最後だから。こんなはずじゃなかった。あの時までは幸せだったのに。リリシアは震える手をぎゅっと握り締める。するとユエリアが弱弱しく微笑み、口を開く。「リリシア、頭をこちらに」頭を近づけると、ユエリアが手を伸ばし、美しい月の花の髪飾りが付けられる。「私はいつでも貴女の味方よ」ユエリアの手が触れ、
* * * わたしは月に嫌われている。 そんなことは分かっていたのに。 リリシアは内心で嘆く。 美しい青年がリリシアをお姫様抱っこし、銀色の月に照らされた夜道を歩き続ける。 その度に揺れる月紐で一本に結ばれた、うるわしき髪。 リリシアは、ぐったりとしたまま胸に誓う。 決してこの青年に悟られてはいけない。 姉を、そして、家を救うまでは――――。 * * * 帝都の離れに一軒の小さな家がある。 その玄関前の庭で箒を握り、落ち葉を掃く小さな娘がいた。 「リリシア、髪、ボサボサじゃないの」 父と共に家に帰ってきた姉が小さな娘、リリシアを見て言う。 「あ、お姉さま、お父さま、
* * * それから月日は流れ、とある朝。 「もう一ヶ月になるのね…………」 リリシアは窓拭きの手を止め、嘆き息を吐く。 家を元に戻したい、姉の役に立ちたいと日々奮闘しながら勤め、ようやく慣れてきたけれど、月を見る度に体調が悪くなり、体質がバレないかとひやひやするのは相変わらず続いている。 ふと何やらざわめく声が聞こえ、リリシアは視線を送ると、宴の部屋の前にメイド達が集まっていた。 一体なんの騒ぎだろう? リリシアも近づき、少し開いた扉から中を覗く。 するとルファルが舞台の椅子に座り、黒色の大きくお洒落な楽器を弾くうるわしの姿が両目に映った。 「ルファル様のグランドピアノの演







